私はまた少し腐ってしまった。

私がやるべきことはなにかを再び見失ったせいだ。

私は仕事をする。

たとえどんな仕事でも、腐らずやり続ける、誠心誠意やり抜くということは、本当に難しいことだと痛感した。

しかし、私が以前と違うのは、私が経験してきたこと、その経験から学んだことを、今に生かすことができるということだ。

人はそうそう変われない。人が変わるということは難しい。変わったといわれることはもっと難しい。しかし、変われなくても、経験は、血となって肉となって、今を生きる糧となる。物事にどう対処したらよいかを導く指南を与えてくれる。

仕事がどんなものであれ、また、自分が何をやるにせよ、自分にできることは、目の前のことに、真剣に取り組むということだ。それを失ってはいけない。私がやるべきことは私ができることを最大限の敬意を以て扱うことだ。すべての生活、すべての一瞬一瞬は、すべて、自分にできることをするための試練だ。生活そのものが修行であり、その修行に対して私はできることをするというだけだ。どう立ち向かうかということだけだ。私は一生懸命、前にあることをする。他人にどういわれようと、何と言われようと、それを無碍にすることは、私の人生という修行から逃げていることに他ならない。

私は改めてこのことを胸に誓って、明日からもまた頑張ろうと思う。

旅の始まり

私の旅は、一つの区切りを迎えようとしている。

旅、それは私が高校を卒業し家を出て、新しい自分を探しに向かい、西へ、そして東へ、それぞれ異なる環境に飛び込んで、異なる自分になることに希望を持って進んでいった道程だ。私は、それらの環境で、苦い味を味わい、楽しい味を嗜み、様々な経験を積んでいった。その目的はただ一つで、私が、私の価値を、私自身が信じることができるだけの人間になるためであった。自信に満ち、明るく賢く機転が利き、人を引き付ける魅力を備えてリーダー然とし、信念をもって人生を猪突猛進する人間になるためであった。

なぜか。それは私自身がそれと真逆の人間だったからだ。私の青春時代は暗澹たる様で、思い出したくもない。その時分を語ろうとすると、私は沈黙してしまう。何を成し遂げるでもなく、何か目標があるでもなく、一日一日を過ごし、実際その積み重ねは6年という、若さの持つエネルギーを発散するには長すぎる時間を、無碍に過ごした。みじめで情けなく申し訳ない自分。外にでるのも億劫で一番安心する場所が図書館。塾の自習室にも怖くて入れない。そんな生活が、自分の人格を形成した、すなわち劣等感と罪悪感を屋台骨に据えた、立て付けの良くない家が出来上がってしまった。青春時代の最後のほうではせめて受験はということで勉強して何とかいい大学に入ったので、それなりに一つの自負は保てたものの、建付けの良くない建物がひとつ出来上がったというだけだ。それから何をその建物に入れていくかである。それを私は大学生活に賭けたのである。

 

私が大学にはいってから、それから社会人になってから、個々の体験、経験をここでは挙げない。すべては一つの気持ち、つまり、高校までの生活で成し遂げられなかったことを、私はここでやり直そう、やり直したら、きっと自分のあこがれる人に近づけるだろう、その一心から私は人生の選択を行ってきた。スポーツができないといけないという気持ちからスポーツをし、しゃべれるようにならなければならないという気持ちから塾講師をし、勉学に励まなければならないからという気持ちから研究に専念した。私は強くなりたい、極限まで頑張るのが人間だという気持ちから、徹夜で勉強した。

それらは、たまにうまくいき、たまに失敗し、それでも一生懸命に頑張った。頑張って、人格を形成し、たゆまぬ努力と根性を身に着ける。一心不乱の人生を送る。その先に幸せな人生が待ち受けている。青春時代に犠牲にした幸せというものを、自分の努力でつかみ取るのだ。

私が、自分の人生を、落ち着いて振り返り、また先を見据えることがゆっくりできたのは、実にそれから8年の歳月を経てからだった。優しい環境で、私が自分の人生について、人生の先をどう描くかは自分の才能と努力と気持ちによるものだとしても、一人の人生を全体としてみるのであれば、あくまでそれは過去の延長線上にしかなりえないということ。そして、私がこれまで人から見られてきた自分、認められなかった自分、認めたくない自分、なりたい自分との乖離、すべての影響を遮断して自分とは何者か、本当は何をしたいのか、何をしているときが幸せなのか、何をするべきなのか、また、家族との関係、生まれてきた理由。そういったものを、名誉とか、功名心とか、地位とか、人からどう見られるか、とか、そういったものをすべて排除して、自分と向き合ったとき、本当に私が、このまま東京にいていいのだろうか。東京にいて、自分は幸せになれるのだろうか。楽しく人生を過ごせるのだろうか。そんなことを考えることができた。

 思い出しても情けないが、私は他人から、リーダー的な存在として見られたことはない。また、魅力的で、人を寄せ付ける雰囲気を持つでもない。それは昔から変わっていないし今でもきっとそうだ。人の上に立つことを楽しむ人柄でもない。

私が、静かな環境で考えたとき、そしていろいろな本を読んだり、映画を見たり、何をしている時が自分が一番たのしいのか、一番落ち着くのか。人付き合いをしている時が楽しいのか、静かに一人で本を読んだりしている時のほうが楽しいのか。一度自分を裸になって、一切のこれまでの努力とか犠牲とか、そういったものを省みることをやめて、自分の前も後ろも見ず、己の今だけを見つめたときに、一つの答えとして、故郷に戻るのが一番いい選択肢なのかもしれないと思ったのだ。

もちろん、全く後悔がないわけがない。本当にこの決断でよいのか、ということは常々考えた。私は、日本の農業を変えたい、もっとより良いものにしたいという夢をもって職場を選んだのではないのか。志を共にした仲間たちと一緒に切磋琢磨を誓ったのではなかったか。歴史に名を残すという目標を打ち立てたのではなかったか。挙げればきりのない、かつてこう考えたではないか、昔の浪漫をどこに放り捨てたのか。職場を去るには厚い上着と誇りを脱がないといけない。逆にそれがこれまで私を逡巡させてきたものだったのかもしれない。

しかし、私が一つ、今回の決断を下すことができたのは、私がひとつ、自分をみとめることができたためだと考えている。すなわち、人にはさまざまあって、五体満足意気揚々の人もいれば、身体にハンデを抱える人も、精神にハンデを抱える人もいる。前を向いて、社会のために、他人のために、力を尽くすことができる人もいる。一方で、生きるのに精一杯の人もいる。生きることがなんと楽しいことかと、生を充実させる人もいれば、生きることが辛く重く圧し掛かり、生と死の間で耐えて生き忍んでいる人もいる。そして、それらの人生を誰が選ぶでもなく理由なく与えられ、また、与えられた人生を全うするのが人間の本分であるとすれば、どのような生き方をするかについて、誰がその人の生き方を否定したり批判することができるだろう。そんなことを考えることが多くなったためでもある。そして、その生き方が、一つの流れとしてあり、がむしゃらに突っ走っている時には見えなくなって、辛いとき、苦しいときに、はたと立ち止まって振り返ってみたときに、過去の一連が、自分に本当に合っているか、適合しているかを、他人がどう思うかや、他人の人生と見比べることなく、自分自身と見つめあったときに、もし流れに背いているのであれば、または、本流からはみ出しているのではないかと思うのであれば、その流れ、それを運命というのであれば、自分のなすべき人生というものからはみ出してしまっていることを示しているのかもしれない。

自分のなすべき人生。それは誰にも分らない、また自分にも当然わからない。期待されているもの、他人の評価というものは、一つの物差しになり得たとしても、それが絶対であるものでもない。ただ唯一間違いのないことは、その人生が、本当に自分が望んでいるものであるかどうか、自分がこうありたいと、無意識に思っているものであるか、その人生を選んでいる際に、本当に自分がそれを望んで選んでいるのか、そしてその選んだ道をやり抜きとおす、生き通す責任を己が持つ覚悟があるのか、それが自分の判断のただ一つの指標になるということだ。名声や、お金、そういった類いのものは、自分が貫き通したい道を進んでいく過程で得られる付随物であるべきであって、それらを目標にして進んでいく道には、不幸が待っているのである。なぜなら、それらが得られたところで、自分というものは変わらないし、その過程が不幸であったり辛いものであるならば、それらが得られたら幸せになり楽しいものになるのかと考えたときに、とてもそうとは思えない。なぜなら名声やお金、尊敬、そういったものは、自分に足りない何か精神的なものの代替品として求めているのであって、私がこれまで経験してきたことから、それらを得たところで何らの代替となることがなく、結局自分は自分であるということに気付くだけだからだ。

つまるところ、自分の最良の人生を選ぶにあたって、一番大切なことは、自分を、自分らしさを、認めることに他ならない。自分を認めたうえで、自分にとって何が最良かを考えることが、何より大切である。

巷に溢れる根性論や、成功のためのハウツー本、成功せよ、名誉を獲得せよ、の流れ出る波。こういったものが東京には蠢き、またそうしたものを手に入れた人たちは偉人として扱われ、それに続けと倣う人達が集まっている。しかし考えなければいけないことは、本当に自分はそうしたいのか、自分はそうすることで健やかに過ごせるのか、人生を生ききれるのかということだ。息切れする人もいる。中には死を選ぶ人もいる。東京の通勤電車を見れば、精気にあふれた人と、疲れ切った人と、両極端が存在している。そしてそれは、まさに東京の精神的な貧富の開きの縮図と化している。必ずしも人は、成功を収めなければならないわけではない。それぞれ人々に課せられた人生は、人それぞれだ。私は黒部渓谷鉄道で見た。若い女性が、身内でおそらくは体に障害を負っているであろう男性を、庇いながら、助けながら、反応もないのに観光し道案内し進んでいく光景を。彼らは確かに成功していないのかもしれない。しかしそれは本当に美しかった。成功を求めて日々働く人は勿論素晴らしいし、なくてはならない人たちである。しかし、同じくらいあの光景は素晴らしかったし、何よりも人間らしかった。そして、私はそれを見てわが身を見て、私が犠牲にするべきものではないものを、私は犠牲にしつつあるのではないかと思った。私にとって、本当にすべきことは、私を育くみ、私を大切にし、私を楽しませてくれた家族を、同じように私が大切にし、今度は私が彼らを幸せにする番なのではないかと思ったのだ。 

 私は国のためを思って、国のためになることを願って、その指針を我が仕事と我が人生の一本の針路として、私が遭難しそうなときは導くべき目標として、また私が苦難に打ちひしがれているときはしがみ付く手綱として、私は生きてきた。苦難は超えるために、涙は乾かすためにあるものと思って歩んできた。その過程で、たとえ自分がみじめになっても、自分が自分の価値をやつしても、それは些末なことであると思って生きた来た。しかし、そうしたところで何も世界は変わらない。世界は自分が映す鏡であり、世界は私にとっての世界であって、世界は変わらない。変わるのは自分の心であった。

私自身の心のよりどころなど、朽ちて折れてしまうほど弱い。私は宗教に自分の身を寄せる場所を探そうとしたこともあった。しかし、宗教も頼ることはできなかった。そこまでの覚悟がなかったからだ。私は結局私を信じるしかできない。

私のように、逡巡し悶々とする人もいれば、そうすることなく、まさに選ばれた人のように、突き進む人がいる。私が思い煩うことはそうした人にとっては全く取るに足らないことだ。きっと思い悩むことなどないのかもしれない。私が私の悩みを悩む必要のないことと思ったとき、私は自分の歩んできた過去を否定することになるかもしれないと思った。私はそうした人になりたいと思ってなり切れなかった。それは、私しか持っていないかもしれない自分の個性、その個性を殺してまで、自分でない何者かになりたいと、心の底からは思えなかったのだ。私が思い悩むことは、私が思い悩むために存在し、また、私と同様に思い悩む人のために私が解決すべき課題であるかもしれないと思ったとき、私は自分を認め、自分を受容し、自分なりの生き方を見つけるべきかもしれないと感じたのである。

自分なりの生き方。それを探して、旅をつづける人もいる。自分探しの旅。それは、旅というものは、何も外に出て、海外を放浪したり、国内をヒッチハイクすることばかりではない。仕事をする日常、休日を過ごす日常、そうした日常の些細な出来事に、探すことはありありと現れてくる。自分の気持ち、現実との向き合い方、その対処、その反応、それらすべては私にとって新しく、私を映し出す鏡である。鏡に映った自分、は、探している自分というものそのものだ。気付かなくても、そこに顕われている。見ようとすれば、現実はまさに自分そのものなのだ。

他人にやさしくすること。他人に何か与えること。他人を大切にすること。他人からなにか受け取ること。それらすべては、結局自分そのもので、それを見つめることは、自分を見つけることに他ならない。それを修行とするならば、寺に籠って座禅をしなくても、日々の自分のあり方そのものが、修行そのものだ。修行は特別な意味を持たずして、自分の意識次第で、すべては修行になる。心を磨こうとすれば、それを行動として生活をすることで磨くことができる。人間がこの世に生を享け、この世から出ていくことができないのだから、この世の中で何をするか、それ自体がまさに生そのものなのだ。

私がかつて、自分を奮い立たせた言葉は、人生に期待してはならない、人生があなたに期待している。どのような環境にあっても、その環境ですべてが奪われても、あなたの精神を奪うことはできない。すべてが奪われても、あなたがそこでその現実にどう向き合うかの態度だけは、あなたが選ぶことができる。

人生は模索するためにあるのかもしれない。模索はなくなることはない。自分を見つけたり、自分とは何かを知ることが人生の目的ではなく、そうして知った自分を受け入れ、そのうえでどう生きるかを体現することが人生の目的である。私の生き様すべてが、時計が刻む針の一秒一秒が、それ自体目的である。

何かを運命づけられるということがある。生まれついて政治家になる人もいれば、寺の住職になることを定められている人もいる。家業を継ぐ人もいる。医者になる人。教師になる人。会社員になる人。そうした様々な人生は、その人の人生という海を航る船に乗って進む航路で、悩んだり楽しんだり、幸せを感じたり不幸を感じたり、成長したり立ち止まったりする。カントは、自分の死に際して、es ist gutと言ったという。自分が死ぬとき、自分がこれでよかった、といえる人生を送ることが大切なのかもしれない。

旅は終わることはない。旅はまた、これから始まる。私がもし自分の人生に満足したとき、満足、満ち足りた精神、それこそが幸せだ。そして満ち足りていない気持ちは、前に進む原動力だ。何かを求めて進む人間にだけ障害は現れる。悩みのないことなんてありえない。人間が生きている限り、悩みを失うということは、人生を放棄したことに他ならない。私が生きている今を大切にして生きること。真剣に向き合って立ち向かうこと。それが、悩みに対してできる、終わることのない己の価値の実証なのである。

つれづれ

遠回りした方が良い、その分見える景色がある。

それには条件がある。迷わないこと、遅れないこと、途中で死なないこと。

遠回りするのは散歩の達人がすることだ。普通の人は、普通が一番いいに決まっている。

私は遠回りしすぎて疲れてしまった。その上迷ってしまったようだ。向こうに正しい道があるのに、どうにもそこにたどり着けない。あるのは分かっているのに、もう戻れないことも分かっている。道を歩くのは時間がかかる。時間には限りがある。もと来た道は道なき道、戻ることはできぬ。はたりと立ち止まってみると、前途も見えぬ。立ち往生してしまう。

自分探しと軽々と歩み始めた道のりは、次第に雲行き怪しくなり、行けども行けども堂々巡り、また前来た道、同じことの繰り返し。そうこうしている数年間は、その時間そのものが自分であった。探すことなく見つけた自分はたいそう惨めで疲れ切っている。

 

私は自信がほしかった。自分が自分ではいけないと思っていたのだ。自分に自信が持てないひとはざらにいるかもしれないけど、自分の存在を否定しなければならない人は精神病院に行った方がよい。辛い人生を歩むことになるのだから、早めに治療した方がよい。

思うにそれに尽きる。私は自信がほしかった。私は平凡以下の人間で、平凡以下の人間はなぜ生きているだろうと思った。私の周りの人間はみんな本当に私より価値のある人間に思え、自分は本当に価値のない人間にしか思えなかった。私はそこにいるだけで済まないと思った。列に並ぶことができなかった、なぜなら私が並ぶとその分他の人に迷惑がかかるからだ。衆目の監視を受けるのが本当に嫌で嫌で仕方がなかった。周りの人が笑っているのではないかと思った。自分の存在がぎこちなくて仕方がないからだ。

そんな病的な精神は、克服できると思っていた。私が価値ある人間になるにはただ一つ、有名になるか顕著なことを成し遂げることだと考えた。そうすれば記録に残り、それが自分の生きた価値になるではないか。単純ではあるが、極論すればそうしなければ生きている意味がないとすら思えたのだ。

だから私は勉強した。勉強してまずは学歴を手に入れたいと思った。学歴。学歴さえ手に入れればきっと自分は変われるはず。いい大学に入り、自信に溢れ、人を圧倒するカリスマ性を手に入れ、万事が順調に運ぶ。そういう夢のようなことを本気で考えて、そのためには勉強しなければならないと思って、我武者羅に勉強に励んだ。死ぬ気で勉強した。自分を克服するために。偉くなるために。劣等感をはねのけるために。

私はその甲斐あって手に入れた。由緒正しい学生証。見る者に対して優越できる学生証。私は偉くなった!私の学生証が有ればこれでもう馬鹿にされることはない。そう思った。でも変わらなかった。私は私であって、学生証は学生証。大学は大学。私は私。私はいつもの私。それでも少しは安らいだ。私は二大巨頭の大学に在籍しているのだと!でもそれはやめた方がいい。変なプライドだけが先行して、変な自尊心ばかり育んでしまう。上を見ればきりがない。私よりももっともっと優れた人はいっぱいいる。みんなを見ると私などすぐかすんでしまう。霧のようなわたし。霧のように消え去ってしまいたい。そんなことばかり考えるようになった。

そんな私が次にすがったのは、努力そのものであった。努力する。それは、懸命に生きるということだ。即ち、生きることは努力することなのだ。何を?学問だ。名誉だ。肩書だ。私をはねのけるには、より高くより権威のあるものがないとダメだ。そのためには努力しなければならない。全てをなげうって努力しなければならない。私のゆがんだ心は、努力という言葉の清らかさに圧倒された。全てをなげうつとは、全てを犠牲にすることだ。つまりすべてを断固拒否することだ。人間関係も拒否し、遊ぶことを拒否し、勉強することが全てだ!今を生きるとは、いままさに努力するということだ。今というのは今であり昨日でもなく明日でもない。今日は二度とやってこない!

そんなことを考えて毎日勉強にまた励んだ。結局人間関係が苦手だから、私は勉強の世界にはまっていったのだ。スポーツクラブは好きで入ったものの、そこでは私は劣等感しかない。私はなんでこんな運動神経がよくないのか。人は認めてくれるけど、認められない自分がいた。遣ればやるほどその気持ちは強くなり、少しずつフェードアウトしていった。フェードアウト。私がこれまでの人生で何度もやってきたことだ。続かないのだ。なぜならやってもやっても、ここにいてはいけない人間なのだと思えて仕方がないからだ。

私は勉強の甲斐あって学会賞を受賞した。私の名前が残った!私の名前は記録され、ずっとこれから残っていく。だからなんだというのだ。私は何も変わらない。私は肩書をぶら下げて生きているわけではない。歩いている間、止まっている間、私はやっぱり素の私で、それ以上でもそれ以下でもないただの人間である。その素の人間としての私がどうしても変われない。変わることが出来ない。

それは結局、私の人との交流の下手さにあると、最近気づき始めたのだ。私はいくら肩書をとっても、いくら名誉のあるところに行っても、結局交際下手のわたしはわたしであり続けるだろう。全ての源泉はここにあるのだ。会話が下手、下手だから嫌い、二度と苦笑されたくない、嘲けられたくない。人が笑うと、私が笑われているように思った。被害妄想かもしれないが本気なのだ。私は会食が嫌いだった。私の声など、私の話など、だれも聞きたくないのだと、無意識に思っているからだ。

つい先日、私が忘年会にいったとき、私は病気の様だったといわれた。不健康そうだったと言われた。また飲み会では、いつも辛そうだといわれた。疲れているといわれた。確かにそうかもしれない。でもそんなつもりが一切ないのにそういわれると、悲しくなる。大したことではないかもしれないが、消え去りたくなる。私はここにいてはいけないのではないかと強く思う。存在してはいけない存在なのだとすら思う。

こんな経験ばかりを積んできた。飲み会ぎらいになるのも無理はなかろう。厭なことしかない。自己嫌悪に陥るか、疲れてると言われるか。どうすればいいのか。参加しないのが一番いいに決まっている。孤立?そんなこと、参加したって孤立するのだから、一緒だろう。こんなことを繰り返して、私は段々人付き合いを避けるようになった。ひとが怖いというより、そういう場が怖い。人は好きだ。人の顔色さえ窺わなければ。私は嫌われるのが嫌だ。嫌そうにされたり、嫌な気持ちにさせるのが本当に嫌だ。いやでしかたがないけど、それが人間関係なのかもしれない。

私は努力はしてきた。あさっての方向に全力疾走して、何かをそのたび失ってここまできた。遠回りをしてきた。全力で遠回りをしてきて、もう後に戻れないところまできた。この先どこに走る?どこに向かう?

自己との対話

年々歳々花相似、年々歳々人不同、という句は、元を辿るとより長い詩句の一部を切り取ったもので、人の世の栄枯盛衰を謳ったような意味だと聞いたが、私はこの句がそれだけでも好きで、本来の意味はよくは存じないが、この断片だけでも十分に名句だと思っている。私は今住んでいる寮に4年前に入居し、それから職場は転々して今が三つ目となっている。その時々で私の心境はバイオグラムのように上がり下がりし、落ち込むこともあれば上り調子の時もあり、耐え忍べばまた花開くというような気もし、それが必定に起こる我が身の定めと悟りにも似た境地にもたまに至って、なんだか損なのか得なのかわからない。そうやっていろいろ呻吟している私の周囲を桜は囲っていて、こちらは季節が来ると花を咲かせ、葉は青々し、季節を過ぎると樹だけになり冬眠支度にはいる。過ぎた季節は幾度も繰り返したが、同じリズムで同じように花を咲かせる自然は雄大で諦観していて、私はそれを見ながら同じように変らぬ悩みを抱えながら同じでない季節を迎えようとしている。

私自身は日々に色々な経験を積ませてもらっている。ただ他人より消化するのに時間がかかるため、亀の速さでしか前に進めないから、傍目には全くずっと同じ場所に廻り廻っているように見えるだろう。亀にとって、障害物が多ければそれだけ回り道をしないといけないから、兎のようにぴょんと跳びはねて次々と進んでいく人が多い世の中にあって、私は間抜けか鈍感か引きこもりのようにしか見えない。事実、引きこもりである。私以外の人は、外に活発に課外活動に励み、その中でいろいろな人と出会い、自分を磨いている。新しい趣味を見つけたり、新しい技能を身に付けたり、日々に殻を破って新しい自分と出会っているのだろう。それなのに私は、随分と取り残されてしまった。友達の目に見えた成長ぶりを見ながら、自分がずっと変わらないとすれば、彼と私は同じ時間を歩んできたのに、私はその時間、彼が充実した時を過ごした期間、私は何をして過ごして来たろうと思う。時間は残酷に過ぎ去っていく、何をしてもしなくても。

数年ぶりに会った人に、私を見て、いつまで経っても変らない、というようなことを言われた。ネガティブな意味でである。してみれば、自分がその数年間、何をして生きていたか。私はやはり人並か、人並み以上に苦しんだりもがいたりして生きてきた。そうして少しは自分の中で成長したり、感じ取ったこともあり、自分にとっては意義深いことであったり、そうでなかったりもしたが、何もしないで過ごしてきたわけではない。私なりに努力し、私なりに頑張ってきたのである。しかし、そう頑張って来ても、私の場合、外に一切発現しないようだ。それに、得てきたものも、すぐにどっかにいってしまう。ふと自分の経験を振り返ると、結局今の自分に目に見える形で何が残っているのだろうと思う。唖のような口、締まらない目、ずっと変わらないようだ。友人は恋人と甘い時を過ごしたり苦い時を乗り越えたり、出会い別れ、そうして結婚し、或る者は子供ができ、親となり一家の主となり、親戚付き合いをするようになって日に日に階段を昇っている。一方で私は階段を昇ることなく、同じ部屋を行きつ戻りつしているだけで、四年前と同じ部屋で生活している。

以前は、私は神様はきっといて、きっと見守ってくれていて、万人に同じだけ苦しみを与え、同じだけ喜びを与えてくれると思っていた。でも、段々それは希望であって現実ではないと分かってきた。今では世の中はとても不条理で、同じでない人間の顔の数は、それだけ同じでない喜びと悲しみを享受したから存在するのだと思っている。私の場合、神様が用意してくれていた道を外れてしまった。道を外れたから、ずっと同じところで悶々とさせられているのではないかと思う。みんなより生きるのが数年遅いとは、以前から自覚していた。遅いのであれば構わない、いずれ到達するのならば、それがもし、到達しなければ、私は、私が負ってきた苦悩の歴史は、どこにも役に立つことなく、どぶの泥水に捨ててしまうのと一緒になってしまう。そうなっては厭だ!と思っても、思っても、思っても、どうしたらいいのかしらと途方に暮れてしまうだけの自分である。前に進む能力のない人間に、どうして歩いたり走ったりすることができるのだ。ただもがくだけの人生なんてと思いながら、矢張もがいてばかりである。

季節は冬になった。めっきり寒くなり、外套を羽織った人波が街を潤している。恋人たちは手をつなぎ、その冷えを暖めあって幸せそうだ。季節の流れは人の心を満たす月の如く満ち欠けを続ける。月の影はいずれ少なくなり満月は夜を明るく照らす。私の心は今のところ、照らされることなく影が多い。時間が止まったように、いつみても半月に雲がかかったように穏やかでない。たられば、は好きでないけど、考えたくなることもある。自分が惨めに感じてしまうことが多くなり、人の世を照らす光が自分のところには及ばないのを嘆くときが増えた。自分は一体何をしているのだろう、これから自分は一体どうなるのだろうと、不安が先立つ。

自分のこの数年間はなんだったのだろうかと思う。友人たちが、かけがえのない人と出会い、かけがえのない時を過ごし、かけがえのない出来事を迎え、かけがえのない新しい命を宿し、一歩また一歩と踏み出している人生の階段を昇ったこの数年間。自分は何をどうして過ごしてきたか。仕事?それはそうだ、私は常に全力で物事を考え、悔いのないやり方でやるのが生き方だと思って過ごしてきた。だから、目の前に仕事があった、だからその仕事に夢中で取り組んだ。その結果、大局的に見れば、大きく失うものがあったのかもしれない。それがなんだ、といえば、人間である。人付き合いである。私はひどく億劫になった。人との関係に飛び込むのが厭で厭で仕方がなくなった。仕事ですら他人との付き合いで疲れてしまうのに、私生活においても疲れてしまうなんてまっぴらごめんだ、などと思うようになっている。でもだれかと一緒に居たい、安心して付き合えるだれかと一緒に同じ時間を過ごしたい、なんて、大きな矛盾を抱えながら過ごしている。その矛盾が僕を擦り減らす。

自分のこの数年間は、多くの友達が過ごしたと同じく、かけがえのないものだったと思いたい。私にしかできない経験を積み、私にしかできない苦悩を味わい、私なりの結論を導いたこの数年間は、傍から見れば、同じところを低回している引きこもりにしか見えまい。では、事実はどうなのかと聞かれれば、そんなものわかりっこない。過去を振り返ってその時期をどう位置付けるのかなんて、未来人、つまり、年を取った自分にしか分からないからだ。ただ、私のことの四年間は、考えると、自分との折り合いをつけるために存在したように思う。他人が外に発出した力を、私は内に発出して、自分のこの情けない性格をどうするかに苦心したのだ。私は私なりのエネルギーで私なりに努力したのだと思いたい。私はこの性格と、打ち解けるためにこの数年間を過ごしたのだ。大学時代に克服したいと努力したこの内気な性格を、諦めにも似た境地で打ち解け仲良くしたいと思うようになったのだ、この数年間で。自己啓発的な本を読むのをやめた。自分は自分でよい、とはまだ思えない。克己は必要なことかもしれない。でも、自分は自分のやり方しかできないし、そうでないやり方は、詰まる所、自己否定になってしまう。自分のやり方で自分と向き合い、良い所も悪い所も受け入れるしかないのである。自分の良い所?それが分からないから苦しい、辛い。分からなくってよい。私が古い本を読んで思ったのは、昔からそういう人間はいて、考えて頑張って生きてきているということだ。曲りなりに努力する人間は素晴らしい。それをやめてしまう人は情けない。私は努力してきたのだ。それが結局何かに結実しなくても、自分として前を向いて生きてきたのだ。何も残らなくても、何も光らなくても、一生懸命に生きてきたそれだけでよいのではないか。

私の数年間は過ぎ去った。これからの数年間も同じように過ぎ去るのかもしれない。私は同じことを苦しむのは厭だと思った。だから、病院に行く決意をした。だって、ずっと同じことに苦しみ悩み続けてきたのだから。頑張る方向はいろいろと変った。だけれども、悩み苦しむ根源は、いつも同じだった。なぜ他の人と同じように振る舞えないのだろう。なぜいつも呆けた顔をしているのだろう。なぜほかの人と同じように他人と付き合えないのだろう。いつもそれだった。それを克服するために色々なことをしてみた。でも結局根源は変らなかった。薬なら変えられるのかもしれない。もうこれ以上、同じ苦しみを味わうのは真っ平だ。

数か月前に、心の安静を手に入れたとき、すぐに私は異動を命じられた。通常より半年はやく。折角手に入れたと思った清い心は、すぐにどっかに行ってしまった。結局自分は変わっていないということに気づいた。この環境にいる間は、きっと変れないに違いないのではないか。それに気付いた。気付けただけでも良かったかもしれない、なぜなら気づけないまままた変に走り始めてしまっていたかもしれないから。神様はきっと見ていらっしゃる。そうして私を何とか正しい道へと移してくださる。そう信じて、今日も明日もきっとくる、正しい道がそこにあると、そう信じて生きていくしかないのだろう。

幸せになりたいと思えば思うほど、考えれば考えるほど、幸せとは何か、という公案に逢着し、その研究をすればするほど、その深淵な先の沼に身を沈めなければならない。研究的な性格の私は、その探究に嵌っていきました。大学のときの話です。幸せとは人生の一つの位地で、万人に共通の一階層であると思っていました。ですから、人生とは何かという問題も無論に附随する課題として浮上しました。その解決を哲学書に求めました。哲学書は難解で特に専攻していたわけではない私には理解ができない部分もありながら、必死に自分の半生と照らし合わせながら答を求めました。それらの書物が描く人間像というものが、自分には程遠く、ひどく悩み深く、苦悩の裡に人生を終えているようで、そうした苦悩を書物に著わした当の者は、結局幸福というものを追求して幸福を定義しながら、最上の人生を形に残しながら、幸福の境地に至らずに亡くなったのではないかという矛盾も己の中に出てきました。

人生に関する書物は世に溢れており、特にその頃そういう類いの話題が世間に出ていていわゆる啓蒙的な本が書店の平積みされていました。私は当然のようにそれらも読み漁りました。これらは私が読んできた哲学的な諸書とは異なり、簡潔な結論を導出していました。前提が『己の』人生であり、『己の』幸福であるということです。万人に共通する普遍的な生き方の在り方ではなく、己という個人に着想しているためその思考過程も実に明快で、己の人生は一度きりなので己を良く知り後悔しないように生きよう、というものです。そのため、様々な自分を知るためのチャートフローのようなものが添付してあり、私は最初に読んだとき画期的でのめりこみました。起きている間はそのことばかりを考えていました。一つ、自分の苦悩が減ったと思いました。私はその本に書いてあるとおり自己分析しました。その内容は以下のようなものでした・・・。

 

私のそれまでの苦悩のひとつは、自分のような卑小な人間がなぜ生かされており、何をすればよいのか分からない、世の中に還元できるものが何もない人間がなぜ生きているのか、というものでした。電車に乗るとき、周りの他人達が、なぜそれを自身の疑問に思わないようにいられるのか、なぜ彼らが自身に溢れており、それがしかも虚栄ですらなさそうで、真に自分を価値ある者と認識できているのか、私は常に怒りを持っていました。自分というものの過小な存在について問い詰めれば問い詰めるほど、ますます己は無価値な存在に思えて、私は克己しなければ生きる意味のない人間なのだ、と、過剰な努力を価値観の根に据えて生きようと考えていました。と同時に、周囲の己に対する寛大さ、世間に対する寛大さに、行き場のない憤りを感じていました。私はそういう周囲に諦めることができませんでした。

私は、だから偉くなろうと思いました。私の劣等感は、青春時代に誰もが抱えるかもしれない苦悩のうちに育まれ、私そのものとなっていました。道を歩くことすら物憂げでありました。自分が歩く様を考えると笑われていると思ったためです。列に並ぶこともできません。立っているだけで笑われると思ったからです。自分は生きているだけで笑われる存在なのだと思っていたのです。体格的に貧相だったことが偏執的なその病的な考え方を助長していました。本当に、私は、本当にそのように思っていました。事実、私は笑われていました。然しながら、矛盾とはこのことです、笑われて悲しいと思いつつ、辛いと思いつつ、苦しいと思いつつ、笑われることは、唯一自分がそこにいて価値のある存在となれる瞬間であったのです。私は笑われることを忌みながら、笑われるにはどうすればよいかを常に考えそのように行動しました。私の行動様式は考え抜かれたピエロでした。蔑されて、自分が初めて認められる存在となっていました。行動の様式は、自己の自分を包含した世界に対する認識から出てくるものです。私はその認識が絶対的なものであると無意識に思っていました。ゆがんだ観念に囚われ、誤った認識のレンズを通して世界を見ていたのです。誤っているかどうかは自分ではわかりません。認識とは自己そのものであり、内から発出しないものであり、自己を映す鏡は自分の認識のレンズを通してしか見ることができないので、認識の在り方を変えない限り、その観念は頑固にその形質に執着するのです。

 私は自分ばかりを考えました。自分を考えることは危険なことです。終わりのないことです。自分が現在進行形な存在であると同時に、過去を振り返るということは、成長を止めることに繋がります。過去に生きる存在となってしまいます。過去が美しい者は幸いなり。私は振り返りたくない過去しかないです。私の青春を振り返ると、苦悩しかありません。その苦悩に、二度も身を浸すことは、それこそ苦痛です。と同時に、当時の価値観を現在の価値観から振り返り、修正的な回想は意義のあることでした。なぜ自分がそういう行動をとったのか、なぜ自分が斯様な認識の眼を持っていたのか。

 

自分を掘り下げることは、真っ向から自分と対立することを強いることです。己と対立し、己を批判的に見ることは、神経を削ります。精神を衰弱します。苦悩をなくすために自己を分析することは、不毛なことではなかろうか。こう考えるようになりました。苦悩の源泉たる自己を一層肥やせば、より苦悩が大きくなるのではないかと考えたのです。私は無私になろうと考えました。自己を離れ、外界に目を転じようと考えました。私が不幸を感じるのは、私が幸福を考えてのことなのです。だから、そうした幸不幸を超えたところに立つほかないと思ったのです。自分を考えること、劣等な存在であると思うことそれ自体、エゴイスティックで自己不完結な迷妄の迷宮に入り込み出口のないところで彷徨うことです。時間の止まったその世界では、実世界から一層遠ざかり、人間生活を憚り、捉え様のない実体を探さんとする旅の出発点であったのです。

省みると、私が小学校の門をくぐっていた頃は、自己など考えたこともない、外の世界を有るがままに見て感じて、何らかの原因を自分に帰すことことなく、率直な生き方をしておった当時、悩みというものは一過性で、打つかっては過ぎ、直面しては抜けていたように回想できます。その頃ですら、悩みというものはあった、あったが、解決することを自分に期待しないで、何かの行いでなくなるものであるとしていました。そうでない苦悩に歳を重ねて相見え、自己探求的な解決策を求めるようになり、その結果逆に深くへばりつくものが出来てしまった。良い面悪い面ある。自分で一度立ち入ってしまった自己の世界から出で発たねば終生私はこの苦悩の内に彷徨して生きていかなければならぬことになる。そのように思ったとき、私の努力の方向は、去私に据えられました。自分という世界を離れなければ、到達せぬと感じたためです。

自分は自分であるということ

私は人混みに居るのがストレスでたまりませんでした。今でもそうですが。しかし、自分を捨てることで、それは少しましになるのではないかと思うようになりました。これまで私は、外界に映るものを、自分の倫理観に照らして解釈し、それが正しいのかどうか、正しくなければなぜ正しくないことをするのか、一人で葛藤する思考の癖があったように思います。

その癖が、一概にいいことなのか、悪いことなのかはわかりません。ただ、そうすることで、何かを常に責めている状態に陥っているということが、却って自分を責めることになるのではないか、苦しむ必要のないところで苦悩を背負っていることになるのではないかと思うようになりました。

行人の中で、自分の心と戦うことが、どれほどに消耗する結果になるのか。自らの高い倫理観が生む自らの行動のちぐはぐが、その結果皮肉なことに、他者の目には、とても不誠実な人間に映ることになる。その矛盾に二重に苦しむ人間の苦悩を描いている様子があります。高尚な精神はそれ自体立派なことではありますが、それを他人に、外の世界に求めることは、余りにも壮大すぎて、しかも何も生まれないということ。その結果自らの心と戦って益々摩耗していくということ。そこで生じる苦しみが自分には何に因っているのか分からず、得体のしれない解決しようのない所でもがくことになるということ。

私は母の性質を受け継ぎたいと思っています。母は寛大です。他者の世界に介入しないことが、いい意味で自己の中で完結するということが、精神の安定に大切です。

他人の心をとやかく言う権利は誰にもないということを、私は理解していなかったのです。些細なことでイライラしてしまうことは、実のところ、他人の心に半分入って己の倫理感を押し付けようとしていることです。それは無意味な努力だということを、一つの諦めとして認識することが大切なのかもしれません。私は少なくとも、そうした諦めの境地に達したいと努力していこうと思います。母はよく嫌みを言います。嫌みは、割り切りから発生する行動です。他人に己をぶつけるのではなく、あくまで他人であるということを以て、自分の基準にしたがって批評するということです。嫌われるかもしれないが、それは生きていくための術かもしれません。生きづらい、と思っている人は、外界のすべてを、自らの価値判断の基準で変革しようという正義の人です。自分に課している崇高な戒律からして、世界が余りに世俗的で汚辱にまみれていて、それに耐えることができない人なのです。だから、生きづらいと思うその気持ちは、そう思えば思うほど、自分の精神の透明なことを示しつつ、世界との乖離を理解できない、とても純粋な精神の顕れなのです。

それは悪いことではない。悪いことではないが、その原因を探究すればするほど、乖離は益々激しくなり、世界から離れ、厭世的な人格となり、傍目からは反社会的に見えことになります。出家するなど俗世から離れ、己の探究それ自体を目的とした人生を歩む人となる覚悟があれば別として、私たちは、私たちが忌み嫌っているかもしれない世界の中でしか生きていけない。幸せになりたいと、人間であれば考えている、そのために、高い徳を自らに求めた故に、幸福は離れていく。

掃除機のはきだし口

ある程度時間が経ちました。かつて私が働いていた仕事は、それはハードなところで、家に帰れればうれしい、4時間寝れれば幸せ、というような働き方をしていました。

たとえ毎日2時間の睡眠であれ、それが何等か報われるだろうと思っていれば、体力的な苦痛はそこまで辛いことではなく、むしろ苦しんだ分だけ後悔なく良いものができるはずだと考えれば、心地よい痛みがむしろありがたいような気持ちでした。

 

2年で部署を離れ、違うところで働き始めました。異動です。

忙しさは、前部署に比べれば大したことなく、また仕事の難易度も低く、頭を使うことも稀で、ここは一体どういう所なんだろうと。

これが閑職なのか、と。

そういう目で見ると、周りもそういうところに”飛ばされて”来た人が多いのか、私もその一員なのか(のちに実際そうだったことが判明するのですが)、と、生来の穿った目が考えてしまうのです。良くないことに、そうすると、見下してしまう自分の悪い癖がでてしまうようです(みんなそういうところ、あるでしょう。ないのかな。それともあっても隠しているのか。私は隠しきれないのでいつも自己嫌悪に陥ります)。

 

私は仕事とは生きることだと、生きることとは社会的に貢献することであるという観点から、その社会的存在の手段としての仕事と生きることを半ば同一に考えてきました。そして、その”程度”も重要であると。何かを残す、その痕跡が大きければ大きいほどよいと。そこには功名心が見え隠れするのですが、エゴは一種の生きるエネルギーでもあるので、そこは蓋をする位で納めておきます。

 

閑職、ヒマ、というのは、勿論周りの目が辛いということもありますが、そもそも何かを成し遂げたいという気持ちに無力感が与えられ、エネルギーの行き場がなくなることが一番辛いのではないのでしょうか。干される。スポーツでも何でもそういう時期があります。私は初めてそういう状態に直面しました。サッカーでもよく、控えとして重要な選手とか、立場を受け入れる、という言葉がありますが、すでに先がある程度見えた人間はそうすることができるかもしれませんが、まだ途上、経験を欲している将来性ある人、向上心のある人ならば、その環境が何も自分に与えてくれない、少なくとも多くを与えてくれないとするとき、自分の貴重な時間を無駄にしてしまうのではないか、特に周囲の人が、向上心にあふれ、その気持ちに応える環境にいて、益々成長しているのを見るとき、危機感と焦り、これまで自分にはなかった感情が、初めて芽生えます。

 

マスターキートンにこんな言葉があり、向上心さえあれば、人はどこでも成長できる、というものです。

「人はどこにいても勉強できる。それがたとえ便所であっても、勉強したいという気持ちがあれば、そこで学ぶことができる。」

 

「人は強制収容所にぶち込んで全てを奪うことができる。しかし、与えられた環境でどのようにふるまうかという精神的な存在としての自由だけは奪うことができない。」VEフランクル

 

このような珠玉の言葉で自らを奮い立たせてきましたが、いざ環境に直面すると、まずは失望、そして怒り、最後に無力感、これらが襲ってきます。どうすることもできない日々。生産性の無い日々。そういう時には本を読みます。私はそうする人で、友人には、例えばいろいろ動いて、職場を変えるためになんでもするという人がいますが、私は人間関係に負い目を何となくもっていて、そうする自信がなく、まずは環境を受け入れてしまいますが、その一方で本を読み、何か打開策はないか、自分に今できる最善策は何か、考えるようにしています。