幸せになりたいと思えば思うほど、考えれば考えるほど、幸せとは何か、という公案に逢着し、その研究をすればするほど、その深淵な先の沼に身を沈めなければならない。研究的な性格の私は、その探究に嵌っていきました。大学のときの話です。幸せとは人生の一つの位地で、万人に共通の一階層であると思っていました。ですから、人生とは何かという問題も無論に附随する課題として浮上しました。その解決を哲学書に求めました。哲学書は難解で特に専攻していたわけではない私には理解ができない部分もありながら、必死に自分の半生と照らし合わせながら答を求めました。それらの書物が描く人間像というものが、自分には程遠く、ひどく悩み深く、苦悩の裡に人生を終えているようで、そうした苦悩を書物に著わした当の者は、結局幸福というものを追求して幸福を定義しながら、最上の人生を形に残しながら、幸福の境地に至らずに亡くなったのではないかという矛盾も己の中に出てきました。

人生に関する書物は世に溢れており、特にその頃そういう類いの話題が世間に出ていていわゆる啓蒙的な本が書店の平積みされていました。私は当然のようにそれらも読み漁りました。これらは私が読んできた哲学的な諸書とは異なり、簡潔な結論を導出していました。前提が『己の』人生であり、『己の』幸福であるということです。万人に共通する普遍的な生き方の在り方ではなく、己という個人に着想しているためその思考過程も実に明快で、己の人生は一度きりなので己を良く知り後悔しないように生きよう、というものです。そのため、様々な自分を知るためのチャートフローのようなものが添付してあり、私は最初に読んだとき画期的でのめりこみました。起きている間はそのことばかりを考えていました。一つ、自分の苦悩が減ったと思いました。私はその本に書いてあるとおり自己分析しました。その内容は以下のようなものでした・・・。

 

私のそれまでの苦悩のひとつは、自分のような卑小な人間がなぜ生かされており、何をすればよいのか分からない、世の中に還元できるものが何もない人間がなぜ生きているのか、というものでした。電車に乗るとき、周りの他人達が、なぜそれを自身の疑問に思わないようにいられるのか、なぜ彼らが自身に溢れており、それがしかも虚栄ですらなさそうで、真に自分を価値ある者と認識できているのか、私は常に怒りを持っていました。自分というものの過小な存在について問い詰めれば問い詰めるほど、ますます己は無価値な存在に思えて、私は克己しなければ生きる意味のない人間なのだ、と、過剰な努力を価値観の根に据えて生きようと考えていました。と同時に、周囲の己に対する寛大さ、世間に対する寛大さに、行き場のない憤りを感じていました。私はそういう周囲に諦めることができませんでした。

私は、だから偉くなろうと思いました。私の劣等感は、青春時代に誰もが抱えるかもしれない苦悩のうちに育まれ、私そのものとなっていました。道を歩くことすら物憂げでありました。自分が歩く様を考えると笑われていると思ったためです。列に並ぶこともできません。立っているだけで笑われると思ったからです。自分は生きているだけで笑われる存在なのだと思っていたのです。体格的に貧相だったことが偏執的なその病的な考え方を助長していました。本当に、私は、本当にそのように思っていました。事実、私は笑われていました。然しながら、矛盾とはこのことです、笑われて悲しいと思いつつ、辛いと思いつつ、苦しいと思いつつ、笑われることは、唯一自分がそこにいて価値のある存在となれる瞬間であったのです。私は笑われることを忌みながら、笑われるにはどうすればよいかを常に考えそのように行動しました。私の行動様式は考え抜かれたピエロでした。蔑されて、自分が初めて認められる存在となっていました。行動の様式は、自己の自分を包含した世界に対する認識から出てくるものです。私はその認識が絶対的なものであると無意識に思っていました。ゆがんだ観念に囚われ、誤った認識のレンズを通して世界を見ていたのです。誤っているかどうかは自分ではわかりません。認識とは自己そのものであり、内から発出しないものであり、自己を映す鏡は自分の認識のレンズを通してしか見ることができないので、認識の在り方を変えない限り、その観念は頑固にその形質に執着するのです。

 私は自分ばかりを考えました。自分を考えることは危険なことです。終わりのないことです。自分が現在進行形な存在であると同時に、過去を振り返るということは、成長を止めることに繋がります。過去に生きる存在となってしまいます。過去が美しい者は幸いなり。私は振り返りたくない過去しかないです。私の青春を振り返ると、苦悩しかありません。その苦悩に、二度も身を浸すことは、それこそ苦痛です。と同時に、当時の価値観を現在の価値観から振り返り、修正的な回想は意義のあることでした。なぜ自分がそういう行動をとったのか、なぜ自分が斯様な認識の眼を持っていたのか。

 

自分を掘り下げることは、真っ向から自分と対立することを強いることです。己と対立し、己を批判的に見ることは、神経を削ります。精神を衰弱します。苦悩をなくすために自己を分析することは、不毛なことではなかろうか。こう考えるようになりました。苦悩の源泉たる自己を一層肥やせば、より苦悩が大きくなるのではないかと考えたのです。私は無私になろうと考えました。自己を離れ、外界に目を転じようと考えました。私が不幸を感じるのは、私が幸福を考えてのことなのです。だから、そうした幸不幸を超えたところに立つほかないと思ったのです。自分を考えること、劣等な存在であると思うことそれ自体、エゴイスティックで自己不完結な迷妄の迷宮に入り込み出口のないところで彷徨うことです。時間の止まったその世界では、実世界から一層遠ざかり、人間生活を憚り、捉え様のない実体を探さんとする旅の出発点であったのです。

省みると、私が小学校の門をくぐっていた頃は、自己など考えたこともない、外の世界を有るがままに見て感じて、何らかの原因を自分に帰すことことなく、率直な生き方をしておった当時、悩みというものは一過性で、打つかっては過ぎ、直面しては抜けていたように回想できます。その頃ですら、悩みというものはあった、あったが、解決することを自分に期待しないで、何かの行いでなくなるものであるとしていました。そうでない苦悩に歳を重ねて相見え、自己探求的な解決策を求めるようになり、その結果逆に深くへばりつくものが出来てしまった。良い面悪い面ある。自分で一度立ち入ってしまった自己の世界から出で発たねば終生私はこの苦悩の内に彷徨して生きていかなければならぬことになる。そのように思ったとき、私の努力の方向は、去私に据えられました。自分という世界を離れなければ、到達せぬと感じたためです。