自己との対話

年々歳々花相似、年々歳々人不同、という句は、元を辿るとより長い詩句の一部を切り取ったもので、人の世の栄枯盛衰を謳ったような意味だと聞いたが、私はこの句がそれだけでも好きで、本来の意味はよくは存じないが、この断片だけでも十分に名句だと思っている。私は今住んでいる寮に4年前に入居し、それから職場は転々して今が三つ目となっている。その時々で私の心境はバイオグラムのように上がり下がりし、落ち込むこともあれば上り調子の時もあり、耐え忍べばまた花開くというような気もし、それが必定に起こる我が身の定めと悟りにも似た境地にもたまに至って、なんだか損なのか得なのかわからない。そうやっていろいろ呻吟している私の周囲を桜は囲っていて、こちらは季節が来ると花を咲かせ、葉は青々し、季節を過ぎると樹だけになり冬眠支度にはいる。過ぎた季節は幾度も繰り返したが、同じリズムで同じように花を咲かせる自然は雄大で諦観していて、私はそれを見ながら同じように変らぬ悩みを抱えながら同じでない季節を迎えようとしている。

私自身は日々に色々な経験を積ませてもらっている。ただ他人より消化するのに時間がかかるため、亀の速さでしか前に進めないから、傍目には全くずっと同じ場所に廻り廻っているように見えるだろう。亀にとって、障害物が多ければそれだけ回り道をしないといけないから、兎のようにぴょんと跳びはねて次々と進んでいく人が多い世の中にあって、私は間抜けか鈍感か引きこもりのようにしか見えない。事実、引きこもりである。私以外の人は、外に活発に課外活動に励み、その中でいろいろな人と出会い、自分を磨いている。新しい趣味を見つけたり、新しい技能を身に付けたり、日々に殻を破って新しい自分と出会っているのだろう。それなのに私は、随分と取り残されてしまった。友達の目に見えた成長ぶりを見ながら、自分がずっと変わらないとすれば、彼と私は同じ時間を歩んできたのに、私はその時間、彼が充実した時を過ごした期間、私は何をして過ごして来たろうと思う。時間は残酷に過ぎ去っていく、何をしてもしなくても。

数年ぶりに会った人に、私を見て、いつまで経っても変らない、というようなことを言われた。ネガティブな意味でである。してみれば、自分がその数年間、何をして生きていたか。私はやはり人並か、人並み以上に苦しんだりもがいたりして生きてきた。そうして少しは自分の中で成長したり、感じ取ったこともあり、自分にとっては意義深いことであったり、そうでなかったりもしたが、何もしないで過ごしてきたわけではない。私なりに努力し、私なりに頑張ってきたのである。しかし、そう頑張って来ても、私の場合、外に一切発現しないようだ。それに、得てきたものも、すぐにどっかにいってしまう。ふと自分の経験を振り返ると、結局今の自分に目に見える形で何が残っているのだろうと思う。唖のような口、締まらない目、ずっと変わらないようだ。友人は恋人と甘い時を過ごしたり苦い時を乗り越えたり、出会い別れ、そうして結婚し、或る者は子供ができ、親となり一家の主となり、親戚付き合いをするようになって日に日に階段を昇っている。一方で私は階段を昇ることなく、同じ部屋を行きつ戻りつしているだけで、四年前と同じ部屋で生活している。

以前は、私は神様はきっといて、きっと見守ってくれていて、万人に同じだけ苦しみを与え、同じだけ喜びを与えてくれると思っていた。でも、段々それは希望であって現実ではないと分かってきた。今では世の中はとても不条理で、同じでない人間の顔の数は、それだけ同じでない喜びと悲しみを享受したから存在するのだと思っている。私の場合、神様が用意してくれていた道を外れてしまった。道を外れたから、ずっと同じところで悶々とさせられているのではないかと思う。みんなより生きるのが数年遅いとは、以前から自覚していた。遅いのであれば構わない、いずれ到達するのならば、それがもし、到達しなければ、私は、私が負ってきた苦悩の歴史は、どこにも役に立つことなく、どぶの泥水に捨ててしまうのと一緒になってしまう。そうなっては厭だ!と思っても、思っても、思っても、どうしたらいいのかしらと途方に暮れてしまうだけの自分である。前に進む能力のない人間に、どうして歩いたり走ったりすることができるのだ。ただもがくだけの人生なんてと思いながら、矢張もがいてばかりである。

季節は冬になった。めっきり寒くなり、外套を羽織った人波が街を潤している。恋人たちは手をつなぎ、その冷えを暖めあって幸せそうだ。季節の流れは人の心を満たす月の如く満ち欠けを続ける。月の影はいずれ少なくなり満月は夜を明るく照らす。私の心は今のところ、照らされることなく影が多い。時間が止まったように、いつみても半月に雲がかかったように穏やかでない。たられば、は好きでないけど、考えたくなることもある。自分が惨めに感じてしまうことが多くなり、人の世を照らす光が自分のところには及ばないのを嘆くときが増えた。自分は一体何をしているのだろう、これから自分は一体どうなるのだろうと、不安が先立つ。

自分のこの数年間はなんだったのだろうかと思う。友人たちが、かけがえのない人と出会い、かけがえのない時を過ごし、かけがえのない出来事を迎え、かけがえのない新しい命を宿し、一歩また一歩と踏み出している人生の階段を昇ったこの数年間。自分は何をどうして過ごしてきたか。仕事?それはそうだ、私は常に全力で物事を考え、悔いのないやり方でやるのが生き方だと思って過ごしてきた。だから、目の前に仕事があった、だからその仕事に夢中で取り組んだ。その結果、大局的に見れば、大きく失うものがあったのかもしれない。それがなんだ、といえば、人間である。人付き合いである。私はひどく億劫になった。人との関係に飛び込むのが厭で厭で仕方がなくなった。仕事ですら他人との付き合いで疲れてしまうのに、私生活においても疲れてしまうなんてまっぴらごめんだ、などと思うようになっている。でもだれかと一緒に居たい、安心して付き合えるだれかと一緒に同じ時間を過ごしたい、なんて、大きな矛盾を抱えながら過ごしている。その矛盾が僕を擦り減らす。

自分のこの数年間は、多くの友達が過ごしたと同じく、かけがえのないものだったと思いたい。私にしかできない経験を積み、私にしかできない苦悩を味わい、私なりの結論を導いたこの数年間は、傍から見れば、同じところを低回している引きこもりにしか見えまい。では、事実はどうなのかと聞かれれば、そんなものわかりっこない。過去を振り返ってその時期をどう位置付けるのかなんて、未来人、つまり、年を取った自分にしか分からないからだ。ただ、私のことの四年間は、考えると、自分との折り合いをつけるために存在したように思う。他人が外に発出した力を、私は内に発出して、自分のこの情けない性格をどうするかに苦心したのだ。私は私なりのエネルギーで私なりに努力したのだと思いたい。私はこの性格と、打ち解けるためにこの数年間を過ごしたのだ。大学時代に克服したいと努力したこの内気な性格を、諦めにも似た境地で打ち解け仲良くしたいと思うようになったのだ、この数年間で。自己啓発的な本を読むのをやめた。自分は自分でよい、とはまだ思えない。克己は必要なことかもしれない。でも、自分は自分のやり方しかできないし、そうでないやり方は、詰まる所、自己否定になってしまう。自分のやり方で自分と向き合い、良い所も悪い所も受け入れるしかないのである。自分の良い所?それが分からないから苦しい、辛い。分からなくってよい。私が古い本を読んで思ったのは、昔からそういう人間はいて、考えて頑張って生きてきているということだ。曲りなりに努力する人間は素晴らしい。それをやめてしまう人は情けない。私は努力してきたのだ。それが結局何かに結実しなくても、自分として前を向いて生きてきたのだ。何も残らなくても、何も光らなくても、一生懸命に生きてきたそれだけでよいのではないか。

私の数年間は過ぎ去った。これからの数年間も同じように過ぎ去るのかもしれない。私は同じことを苦しむのは厭だと思った。だから、病院に行く決意をした。だって、ずっと同じことに苦しみ悩み続けてきたのだから。頑張る方向はいろいろと変った。だけれども、悩み苦しむ根源は、いつも同じだった。なぜ他の人と同じように振る舞えないのだろう。なぜいつも呆けた顔をしているのだろう。なぜほかの人と同じように他人と付き合えないのだろう。いつもそれだった。それを克服するために色々なことをしてみた。でも結局根源は変らなかった。薬なら変えられるのかもしれない。もうこれ以上、同じ苦しみを味わうのは真っ平だ。

数か月前に、心の安静を手に入れたとき、すぐに私は異動を命じられた。通常より半年はやく。折角手に入れたと思った清い心は、すぐにどっかに行ってしまった。結局自分は変わっていないということに気づいた。この環境にいる間は、きっと変れないに違いないのではないか。それに気付いた。気付けただけでも良かったかもしれない、なぜなら気づけないまままた変に走り始めてしまっていたかもしれないから。神様はきっと見ていらっしゃる。そうして私を何とか正しい道へと移してくださる。そう信じて、今日も明日もきっとくる、正しい道がそこにあると、そう信じて生きていくしかないのだろう。