11月8日

何かを書くということは、書きたいという欲求から来るのではない。書かなければならないという焦燥か不安か、そういう負の気持ちが書くことに走らせる。自己顕示欲ではなくひどい傷口のかさぶたをいじり続けて染み出してきた膿。青竹を炙って滲む油であり、底知れぬ沼の汚泥が私の作物である。凝集された苦悩を吐き出さんがための行為こそ私にとって書くということであり、生きるために吐き出す術を持たない私の唯一の自己表現である。

人間にとって自殺とは何か。それは生きようとする欲望が屈折した方向に突進した先にある。一方で、絶望的に打ちのめされている人間にあってはささやかな救いでもある。自分に未来も希望もない人間にとっては人生から助かる光差す道であり、そこまでの絶望を感じていない人間にとってはそうして自尽した人間がいるという事実が明るい希望溢れる社会の人波の中での慰藉となるからだ。

人間ならば誰しも幸福を願う。又公平に幸福が分け与えられているべきと願う。しかしそうではないと気付かされたとき、後ろを向いて嘆き苦しむ、こんな筈ではなかったと。何が悪かったのか分らないまま、前を向くこともできず、しかし進まなければならない。

痛み。人を導く神は私たちに喜びも与え苦しみも与える。それでも信じるしかない。人が変わるのは、喜びによってではなく、痛みによってである。苦しみの中にあって人間は人間の進むべき道を模索することができる。なんというむごいことか!それでも進むのが私たち人間の宿命なのかもしれない。